映画「キャロル」観ました。評価→悪い

Carol20160213.jpg

原作未読です。(というか、内容自体よく知らずに行った。後で「PG12」ということも知る始末。)

以下、適当に箇条書き。

・主要登場人物ほとんどのエゴが目立ち、誰かに寄り添って見られない
・キャロルに惹かれた理由がよくわからない(ちょっとお誘いに乗っただけで早すぎ…)
・娘と別れたくないと必死な割に、時同じくして自発的に恋人を作るキャロルはさすがに擁護できない



本作の流れが完全にキャロル視点だったら、まあ同情的に見られるような気もしたのですが、神の視点で全体を映すことにより返って誰の味方もできなくなってしまったのが正直なところです。

キャロルの夫は仕事人間で冷徹…みたいなセリフもあったんですが、説明セリフってやっぱり説得力に乏しいのだなあと改めて感じた次第であります。

そもそもキャロルが冒頭で買い物中に喫煙しようとする描写は、彼女の社会性の欠如を説明しているのだと思います。(最後の方でも「私がお勤めするなんてイメージに合ってないでしょ?」みたいなセリフがあったので、そういう設定があるのだと思います。)その部分からも、私はキャロルに寄り添うことができないのでありました。



(追記)

なんでも原作では心情描写がもっと丁寧で、テレーズは冒頭あたりから同性愛に自覚的だとかいう話を見ました。

と、ここで妙に感じるのは、前半でテレーズが「同性愛ってありかも」的な、自分自身に対するさぐりを入れてしまうことです。

あの描写により、テレーズにとって同性愛はまだおぼえたてのファッションであるかのような印象が生まれてしまいます。しかもあの軽いやりとりでは、後半でキャロルが同性愛治療を口にする、当時の社会との整合性がとれません。

このあたり、もうちょっと違うようだったら、作品全体への印象も大分変わっていただろうなと思います。



(追記2)

なんでもこの映画は「良い映画だけど(だから?)LGBT的扱いはやめて!これは同性愛異性愛にとらわれない普遍的な愛なの!」という意見があるそうです。

そういう意見を擁護したいわけではありませんが、確かにこの映画はセクシャルマイノリティの描き方が男性同性愛物なんかと比較して浅い・軽い印象を拭えませんでした。

特に個人的にガッカリだったのが離婚協議でキャロルが「同性愛はちゃんと治療しますから」と訴えるシーン。まあそういう時代とはいえ、都合よく病気と強調して逃げようとしちゃうのかあ…みたいな。(そもそも問題は婚外交際のような)

あのシーンでキャロルが訴えた「同性愛は病気」「でもテレーズとの愛は本物なの」という合わせ技が【たまたま好きになった人が同性だっただけ】といった誘導になってしまうんだろうなあと思います。必ずしもそれだけではないでしょうけど。

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posted by おとなり at 20:23TrackBack(0)映画

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